ゲノム研究が始まってから、生命科学関係の雑誌や報告書にこれまであまり見慣れない「網羅」という言葉が多く使われるようになった。類似の言葉である「枚挙は」枚挙の生物学というように、新鮮味のない重箱の隅をつつくような研究をさして使われることがある。枚挙と網羅はどう違うのか、網羅のほうが枚挙より上等なのなか、どちらもゲノム研究にとっては重要な概念だと思うので、あらためて考えてみた。広辞苑によると「網羅」は、魚を捕るあみを意味する“網”と鳥を捕るあみを意味する“羅”を合わせて、洩らすことなく、すべてに及ぶこと、「枚挙」は一つ一つ数え上げること、と定義されている。枚挙にいとまがないというのは非常にたくさんありすぎて数えきれない状況のことだ。蝶やカミキリムシなど昆虫のコレクターにとって、網羅と枚挙葉は雲泥の相違、だれもが網羅を目指しながら、枚挙にいとまがないのが現実なのだ。新しい種を発見した時、蝶ならば大騒ぎをするが、蛾の一種なら、気に留めることも少ないのは、蛾の種類は蝶の何百倍もあって網にかからないものが無数に残っているからだ。
枚挙を網羅に変える工夫がある。産地を限定するのはその一つで、日本産とすれば、蛾でも網羅することは不可能ではない。それでも中学生には至難の業だから、その昔、神戸一中の博物会の場合は六甲山系の蝶と蛾を網羅の対象としていたように記憶している。もっと大がかりな工夫は図鑑の作成だ。原色日本昆虫図鑑だとか、世界のアゲハチョウと銘打った図鑑が多数出版されているが、どれも日本や世界の虫を網羅しているという保証はない。しかし、それらを網羅の基準とすれば、それを完成することはコレクターの大変誇り高き目標になりうるのである。
人工物と異なり、自然には原子から宇宙まで網羅できるものなど存在し得ないから、網羅とは所詮相対的なものだと思われていた。ところがゲノムの解読が行われて、その常識的感覚が覆った。情報量が巨大だから、あまり気にかけていなかったのかもしれないが、ゲノムの塩基配列は、当たり前だが有限なのである。ヒトゲノムはたとえ30億を超えても9桁の塩基数の数字すべてを正確に網羅することができるはずである。
Genomeは元々倍数性染色体をもつ複雑な植物の祖先系の解析から、種に対応する最少染色体(遺伝型)を表すものとして定義されたものであり、現在の網羅的概念と矛盾していない。しかしこれを“gene (遺伝子)+ome(全体)”=“遺伝子の全て”と解釈すると網羅があやしくなる。非コード領域が情報を持つかどうかの議論は無視するとしても、geneそのものの概念が流動的だからである。ヒト遺伝子が25,000しか見つからないという驚きも、そこに原因がある。Beadleらの1 gene-1 enzymeから進化した1 cistron-1 peptideを多少モディファイして、1 cistron-1 peptide or RNAと定義するとして、一つの遺伝子領域から複数(または多数)のpeptideやRNAがalternativ
e promoterやsplicingなどで生産されるとすると、遺伝子の定義は複雑になる。そのうえ、遺伝子発現は各種のタンパクがからんでいるから、細胞内外の環境によって影響される予想困難な柔軟性を持っている。このように考えると本来は決定的な遺伝形質であったgeneが表現形質と区別がつかなくなってしまっている。言い換えれば、情報としてのGenomeは網羅的な解析が可能な対象ではなくなっているのだ。網羅的なのはハードなゲノム配列だけなのである。
Genome自身がそうなのだから、その表現型である、transcriptomeとproteomeが時間的にも空間的にもきわめて多様で、一義的に網羅できる対象でないことは分り切っている。それなのに、omeと名付けたところに問題がある。さらに、metabolome, physiome, phenomeなどが加わって、Ome 研究といえば、あたかも生命現象全体を網羅し統合するような誤解を与えている。Protein 3000プロジェクトもその一例だろう。プロジェクトの当初は1000だった目標が2000,3000と変化したことを見ても分かるように、たんぱくの機能的構造モジュールの総数が3000という根拠はどこにもなく、3000は枚挙の目安に過ぎないのだから。
枚挙も決して捨てたものではない。意味のある枠組みを作れば、網羅に格上げすることができるからだ。網羅が枚挙よりも格がうえであることは、ゲノム配列を決定した研究者は経験済のことだろう。全配列決定の最後の数%はそれまでの解析以上に困難であり、ブレークスルーに必要なさまざまな課題に苦しめられる。そのような経験こそが新しい技術の開発や重要な知識の発見に繋がっていることは枚挙にいとまがない。最近、ゲノム分野の研究報告をみていると“網羅する”、“網羅的“と言った言葉が良く使われている。それを見るたびに私は枚挙を網羅と騙されないように、どのような枠組み、それもどのような生物学的に意味のある枠組みによって括られているかどうかを注意深く調べるようにしている。
さて、ゲノム研究の新しい分野として注目を集めているメタゲノムはどうだろう。新しい遺伝子や新しい微生物機能の探索を目的としたものは、従来のマススクリーニングにゲノム解析技術を利用するだけに過ぎないから、議論するまでもなく、たとえ枚挙であってもその有用性に疑問の余地はない。検討が必要なのは、特定の環境に生息する微生物(特に細菌・ウィルス)群集とその相互作用によって、環境の成立・維持・変化を理解しようとする基礎生物学としてのメタゲノム研究だ。メタゲノムには従来の環境微生物学や微生物生態学が解決できなかった多くの課題にブレークスルーを起こし、環境や生態の学問領域に新しいパラダイムを創造することが期待されている。
研究を推進する立場の科学者としては、メタゲノムが本当に画期的な方法なのかどうか検証する必要がある。検証のひとつに“網羅”と“枚挙”が役に立つ。微生物の群集とその物理的・生物的相互作用にかかわる要素は限りなく多く、とうてい網羅できるものではない。しかし、網羅しない限り、全体を総合するコンセプトは生まれない。この矛盾を解決できなければ、どんなに多くの要素を発見したとしても、結局枚挙に終わってしまうだろう。必要なことは優れた網羅の枠組みを作ることだ。もし生物学的に意味のある枠組みが設定されれば、網羅されたものがたとえ全体の一部に過ぎなくても、全体のコンセプトの形成に意味のある部分的なコンセプトを明らかにすることができるだろう。枠組みの設定にはメタゲノム技術の可能性と限界についての専門知識と、微生物環境や生態研究に関する経験と深い知識が不可欠である。いうまでもないがこれまで異分野で育った研究者の共同作業が必須なのである。
網羅と枚挙を肴にして、メタゲノムについて議論する機会をゲノム微生物学会のなかでぜひ作ってほしい。
投稿者:日本ゲノム微生物学会会長 吉川寛